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~トイレの歴史  おこぼれ話~

2020年12月 スマホdeトイレ

アプリつながりで…

トイレ検索アプリの紹介


※引用先(2019年10月4日閲覧)

https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/column/teppan/1144652.html

2020年 11月 なぜ白系統の色が定番となったのか?

なぜ白系統の色が定番となったのかという理由を、皆さんはご存じですか。理由は「インテリアとして合わせやすい」「清潔感」「便や尿の色で健康状態が判断できる」などと言われているようです。少し前まではリフォームの際などにカラフルな便器が人気だった時期もありますが、近年は清潔志向やシンプルモダン志向が高まり、再び白が定番となっているようです。メーカーによってはグリーンやブルー、ブラウンなどもありますが、すでに廃盤になっていたり、受注生産のため納品に時間がかかったりと、あまり一般的ではないようです。


※引用先(2019年10月4日閲覧)

①https://www.nttcom.co.jp/comzine/no133/long_seller/index.html

②https://toyokeizai.net/articles/-/54722?page=3

2020年 10月 ロンドンのトイレ事情

1831年、ドイツの哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルはコレラ禍のためにベルリンで死去しており、1832年にパリでコレラが流行した際には、辣腕政治家として知られたカジミル・ペリエ(フランス語版)フランス首相が死亡しています。このとき、パリでは毎日数百人もの人々が罹病し、1,000人を越える患者が出る日もあったそうです。死亡率も高く、1日で800人もの人が命を失うこともあったそうです。 

1832年4月、コレラが増えはじめたパリでは、だれかが毒を投げこんだという噂が飛びかい、毒殺犯人とみなされた人々が民衆に暴行を受ける事件がおこっています。この事件では数名が殺害されています。コレラの流行した1830年代のヨーロッパでは至るところで毒殺説がささやかれ、なかには医師が疑われて殺害されたこともあったそうです。 

ロンドンでもパリでも、病気は道路と水路に沿って広がり、ことに貧民街での被害が著しかったそうです。19世紀前半のコレラの流行は、19世紀初頭以来の急速な都市化の進んだ時期でもあり、ヨーロッパの大都市はどこも劣悪な衛生環境にありました。コレラの猖獗によって、感染症は「人間の病」である以上に「社会の病」であることを多くの人が痛切に感じたそうです。そのなかから、社会の健康を考える公衆衛生学や上下水道の整備や道路拡幅なども取り込んだ近代的な都市工学という学問分野が生まれました。また、イギリスの外科医ジョン・スノウはロンドンでのコレラ流行に際し、死亡者の生活状況を四分割表を用いてのクロス分析という統計学的な手法を用いて生活改善を提案し、これらの業績により「疫学の父」と称されました。 


※引用先(2019年10月4日閲覧)

https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/102010368

哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

外科医ジョン・スノウ

2020年 9月 和式から洋式へ

ちなみに全国公立小中学校施設では、全便器数は約140万個で、そのうち洋便器約61万個(43.3%)に対し、和便器約79万個(56.7%)と報告されています【2016年文部科学省が報告】。学校のトイレも、洋式へと転換が進んでいるようです。

※引用先(2019年10月4日閲覧)

①https://www.satou-setubi.com/publics/index/25/

②https://www.meijitosho.co.jp/eduzine/news/?id=20160949

2020年 8月 17世紀 中世ヨーロッパ(江戸時代初期)

17世紀のルイ14世もルーヴル宮殿が汚物まみれになったため、ヴェルサイユ宮殿に引っ越してきたそうです。

ヴェルサイユ宮殿では、当初トイレとして独立した部屋がなく、ルイ14世の時代には274個の椅子式便器があったそうです。

椅子式便器とは椅子の中が中空になっており、そこに汚物受けを仕込んだものだそうです。しかし、当時のヴェルサイユ宮殿には1000人の王侯貴族と4000人の召使いが常時出入りしたので、まったく足りませんでした。宮殿には水道が通じておりましたが、それはもっぱら噴水のために使用され、トイレに使われることはなかったそうです。

1つの城にあまり長く住むとその城があまりに不潔になってしまうので、中世・ルネサンス時代の王様は、1つの城にじっとしていることが少なく、城から城へ渡り歩いていたそうです。渡り歩いていた理由には、当時はまだ国王の権勢が隅々まで浸透していなかったため、直接地方に行って国王の威光を誇示する必要もあったとのことです。

宮殿に住むことになった王一家以外の貴族たちや召使いのためのトイレはなく、彼らの用をまかなっていたのは2000個に及ぶ「おまる」だったそうです。

中身は従者が庭に捨ててしまっていた事に加え、宮殿内の便器の中身も庭に捨てていたため、ヴェルサイユ宮殿は中庭や通路、回廊など糞尿であふれ、ものすごい悪臭だったそうです。ある廊下のはずれは、「汚物で沈んでいた。」と言われています。

信じられないような話ですが、王侯貴族をはじめとして、多くの人々は、建物の片隅や庭先に平然と便をしていたのです。

ルイ15世の時代、汲み取り式便器が「イギリス式のイス」と呼ばれる水洗式に変わりました。便座横のコックを引くと、天井裏から鉛管を通して水が流れ、汚物を地下の屎尿槽(しにょうそう)に流し込むという装置です。これらは王族専用の施設であり、中小貴族や一般人はまだまだ「おまる」生活だったそうです。


※引用先(2019年10月4日閲覧)

①https://suumo.jp/remodel/blog/entry/2017/01/27/195453

②https://matome.naver.jp/odai/2138980649330490901

2020年7月 戦国時代

京間6畳敷で排泄後に鈴を鳴らすと、風呂の残り湯が流れてくる水洗トイレでした。また香炉を置いて臭い消しをしていたと言われています。


※引用先(2019年10月4日閲覧)

①https://tachikawa.keizai.biz/headline/412/

②https://lifehack-analyzer.com/shingen-takeda-koshuyama/

2020年6月 糞尿は商品(鎌倉~江戸時代)

【下肥(糞尿)にはランク】

特上にあたる「きんばん」…幕府や大名屋敷の勤番者のものです。

上等にあたる「辻肥」→街角にある公衆便所から汲み取った糞尿です。

 

中等にあたる「町肥」は、一般の町民が使う便所から汲み取られた糞尿にです。

 

下等にあたるのが「たれこみ」と呼ばれるもので、糞の量が少なく尿が多く混じっているため肥料としての価値の低くなります。

 

同じく下等にあたる糞尿に「お屋敷」→これは牢獄や留置所から汲み取られたもので、罪を犯した人の糞尿は価値が低いとされました。


※引用先(2019年10月4日閲覧)http://www.edojidai.info/uso-hontou/funnyou.html


2020年5月 中世ヨーロッパ 5世紀から15世紀

・ハイヒール

街中にうず高く積もった汚物を避けるために、ハイヒールやブーツなどの丈の高い靴が考案されたと言われています。当初、ハイヒールは、こうした道路を歩くための男性の履き物でした。


・シルクハットとマント・外套ファッション 

紳士たる者は、汚物を浴びやすい歩道の外側を(当時の家は、2階が歩道に突き出ていたので、歩道の内側は2階の床下になっていて汚物を直接浴びる心配がなかった。そのかわり歩道の外側はもろに汚物を被っていた)レディーは安全な内側を歩くマナーが生まれたそうです。危険な歩道側を歩く紳士が、排泄物から身を守るために着用したのが外套でした。街を歩く人は、頭にバケツを被り、幅の広い長い外套・マントを着用していました。当時の紳士達のシックな帽子と外套姿も、投げ捨てられる汚物から衣類を守るためだったのです。


※引用先(2020年4月30日閲覧)

https://matome.naver.jp/odai/2138980649330490901


2020年4月 高野山式トイレ(平安時代)

 平安時代、一般的な生活を送るのが困難で、身分も相当低い人々は、野糞をしていたようです。

 また、道端で排泄をする庶民の多くが、「高下駄」を履いて用を足していました。その理由として、「裾周りを汚さないため」というのが有力です。男性はともかく、特に女性は用を足す際に裾周りを汚してしまう可能性があったのですね。


※引用先(2019年10月4日閲覧)

①https://www.city.kodaira.tokyo.jp/kurashi/020/020948.html

②https://sarasina.jp/products/detail129.html

③http://www.heianjidai.com/toire.html

2020年 3月 古代ローマ 紀元前2世紀(弥生時代前半)

古代ローマのトイレ事情(諸説あります)

・用を足したあとはXylospongium(読み方不明)という天然スポンジを使っていた??トイレ、特に大便をしたあとはどのようにして『後処理』をしていたのだろうか。

 従来はXylospongiumという棒状の先にスポンジをつけた器具で、おしりを拭くと言われていました。また、公衆トイレの利用者は共用でXylospongiumを使い、次の利用者のために洗浄用の酢を混ぜた水の中に戻すとされていました。

 しかしこれに異を唱える説もあり、スポンジをわざわざ棒につける意味があるのか?というものです。また、他人が拭いた道具で、自分のお尻を果たして吹く気になるだろうか?とも考えられます。

 そこで考えられたのが、実はローマ人は現代の携帯用ティッシュペーパーのように、各自おしりふき用の携帯スポンジを持っていて、それを公衆トイレで使ったのではないかという説です。

 ではXylospongiumは何をするものか?というと、事前にする座面の清掃用だったのではないかと考えられます。


※3月カレンダー&おこぼれ話  引用先(2019年10月4日閲覧)


2020年 2月 縄文~古墳時代のトイレ

万葉集には、古代人のトイレは水洗式だったと読み取れる歌が残っています。「香塗れる塔になよりそ川くまのくそふな喰める 痛き女やっこ(あの人は糞尿を食っているフナを食べている汚らわしい女だ)」

非常にインパクトのある歌ですね!


※2月カレンダー&おこぼれ話   引用先(2019年10月4日閲覧)

https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86-%E4%B8%80-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%BD%90%E7%AB%B9-%E6%98%AD%E5%BA%83/dp/400300051X

2020年 1月 日本と欧米の便所の違い

「神が人間の身体を造るとき、食べ物の入り口と出口を離したのをみてもわかるように、住居の中に排便場所が堂々と存在するなど、許されるべきではない」欧米ではこのような宗教観もあったようです。


※1月カレンダー&おこぼれ話 引用先(2019年12月27日閲覧)

①http://pweb.sophia.ac.jp/k-toyota/atelier/column/column_roma_toilette1.html

②http://toilet-reformpro.com/toiletmame/%EF%BD%94-rekisi/toilet4.html